2011年3月24日木曜日

最近、

かみさんがお弁当を作ってくれる機会が多くなった。

息子の学校が早くなり学童へ弁当を持たせるのと

自分がアルバイトの職場で食べる時だけついでに作ってくれるのだ。

まあとにかく何年かぶりのお弁当だったので最初家を出るとき慣れてないせせいか

弁当を玄関に置いたままでようとして妻に「もう作ってやらない」と

しかられました。その後何回か作ってくれてますが(笑)。

それにしてもお弁当、こんなにも美味しいものかと改めて思う次第です。

やはり気持ちですよね、なんか家族が一緒になっている感覚。

ついでに作ったからと妻は言っておりますが、まあこちらとしては

最高に嬉しいものです。でもご飯の量が私の体重をきにしてか

息子並みの盛りで......。

いやっ、これでいいのだ。わたしはここがターニングポイントなんだから。

と強い意思を示そうと思いましたが、

思ったとたんにコンビニのフランクフルトをむさぼる自分が....。

あまりの意志の弱さに情けなや。

いまのところ、お弁当は週に1回あればいいのですが

密かに楽しみにいている今日この頃です。



おー、若かりし頃の山川のりを(ギターパンダ)氏が!!名曲です。
先日のサウサリートでのライブでも披露してましたね!!

2011年3月23日水曜日

今思うこと。

高校2年生の時だったか。高校の文化祭で僕と友人数人とで原子力発電所反対啓蒙運動

をしたのである。折しもチェルノブイリの事故から2年経ち、愛読していた雑誌「宝島」

では原発反対ライターの広瀬隆の特集ページが組まれ、そしてとどめはRCサクセション

の「COVERS」で清志郎が原発なんていらねーなんていうものだから、もうこれは原発

の恐ろしさをみんなに広めなくては!なんていう使命感にかられて文化祭実行委員会に

直訴して教室を一室あててもらったのである。そして活動ユニット名を「反核討論会」

と名付け自分たちが知りうる原子力の恐ろしさをしらせようとボードを作ったり、そこ

でディベートを開いたりもした。普段仲のいい仲間でもこと原子力となるとよくわから

ないとか、全く興味ないとか、大賛成とか、いろいろな意見が各人からそのディベート

から出てきたのであった。でも学校全体の出し物のなかでは圧倒的に不人気な催しだっ

たかな。でも友人がアコースティクギターを持ち込んでゲリラライブやったり(許可

以外の場所での音楽活動は禁止さされていた)とか普段話したことの無い先輩や後輩

も来てくれたりとやっている本人たちはそれなりに楽しかったのである。

まあ内容が内容なのとアナーキー気取りでやっていたので先生たちからは冷ややかな

目だったのも確かだった。でも文化祭の終了の集会のとき校長先生から「特別賞」を

もらちゃったのである。理由は今無関心なこの時代で問題提起をできる生徒が我が校

にいたことに感銘を受けたと話していました。好き勝手にやっていた僕らも思わず苦

笑。でもうれしかったな、認められた気がした。

でも格好付けでやっているとは思われたくなかったので市民レベルの反対集会や、シンポ

ジュームへその後も顔を出して、そこで知り合った市会議員の活動も手伝ったりもした。

同世代で同じような関心を持っている人たちとも出会った。

でも日本は不自由な国だとも思った。やはり脅迫めいたものも届いたこともあったし。

RCのアルバムは発売禁止になったりもしたし。

日本はその後も原子力発電所は安全と言う名の下で稼働をしつづけたのである。

僕自身もそう言う活動からは自ら参加しなくなっていった。

ここに来て目を覆うばかりの大事故。そして自分たちの将来を見つめるいい機会だ。

原子力に頼る生活をここで転換してみようじゃないか。

日本人ならできるはず。



この曲を文化祭のセレモニーで歌ったら、全校生徒どっちちらけでした。トラウマ。

2011年3月22日火曜日

やさしさ。

このガソリンの供給不足でしばらく車に乗ることをやめました。

ということで先の日曜日、かみさんはアルバイトのため出かけ

家にのこったのは僕と息子とトットだけ。

前からスカウトで使う赤白の手旗を買う為にトットはお留守番にして

車にのらず東海道線で横浜の高島屋にあるスカウトショップへ出向く。

でも息子にはそれだけの理由でわざわざ横浜まで出かけようという

思いは無い。かれにはベイブレード(子供に人気の駒)を買うことが目的なのだ。

そして高島屋到着。

お年玉から貯金分を差し引いた5000円を握りしめ、

向うはスカウトショップではなく、同じフロアのおもちゃ売場(笑)。

いろいろ悩んだあげくなんか3個セットのものと、ふたを開けてみないと

中身がわからぬなんとかランダムみたいなものを購入。

しめて1470円也。その時点で11:00くらいだったので

食事をとることにした。最上階のレストランフロア。いくつもの店の中から

イタリア料理の店へ入る。店名は失念。ピザの焼き釜があって

職人が一枚一枚焼いていましたね。でもそのピザの高いこと。

1枚2000円位するので他にもパスタとか食べたかったけどピッツァマルゲリータだけを

オーダーしたのだが、息子は買ったばかりベイブレードに夢中で

結局ピザを一枚だけ食べてあとは私が食べた。あーよっかたパスタ頼まなくて。

まあせっかく電車できたのだからビールも頼んでしまいました。

やはり休みの昼間のビールは美味いな。

と顔を赤らめて帰途につく。

この震災の影響で日曜なのに横浜駅も閑散。

来た電車も席はガラガラで息子座って話をしているうちに眠気が.....。

目が覚め気が付くとそこは藤沢駅。

「パパ起きろ!!」

危うく扉がしまるところで息子が起こしてくれました。

改札をでてサンパール広場を通りかかると卒業した地元の中学生たちが募金活動を

しており、それをみた息子が、

「パパ、財布カバンから出して!」

彼がしょっているカバンから息子の財布を取り出してあげると

「パパ、募金していい?」

一瞬耳を疑いましたがママに困っている人の為にフミジもできる範囲で募金しなさいと

言われていたらしい。

「おれね、まだお小遣い残っているから募金するね。」

かれは、財布から10円玉を取り出し中学生の募金箱へ。

彼からしてみれば10円玉も大金だ。その気持ちが被災者の方へ通じてほしい。

僕も息子に続き少々募金。いまはこれくらいしかできないもんね。

親子で出かけ、昼間からビール飲み、こんな姿被災者思えば罰が当たりそうだが、

無事だったぼくたちは社会にもう一度息を吹き込まなくてはならないのだ。

だから地元の商店街で買い物をして、たまの贅沢で地元の飲食店で食事をして、

ちょっとした遠出が横浜くらいでもいいじゃないか。

そこからまたやりなおそうよ。

募金をしていた中学生、そして我が息子たちが復興の先兵となる日はそう遠くないのだ。

やさしさが日本を、世界を救うのだ!!
















2011年3月21日月曜日

ターニングポイント。

まずは震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。そして避難所や限られた条件で

過ごされている被災者のみなさんにお見舞い申し上げます。







まさに今この状況で私たちができることは祈ること、可能な限りにポジティブに。

それは人それぞれにやり方があるだろう。

そして人にたして思いやること。

本当に今までの自分の生き方が試されている。

家族も、商売も、友人たちとの関係も。

そう今まさにターニングポイント。

ポジティブに動こう。

結果は後についてくるはずさ。