2010年2月25日木曜日
おいしい林檎、美味しい焼酎。
いまやみなさんがご存知の青森の自然栽培りんご農家の木村秋則さんの書いた「りんごが教えてくれたこと」と言う本を読み、そして打ちのめされた。木村さんのりんごは収穫したあと一年間放置しても腐らないし、しかも尚甘酸っぱい香りを放つりんごをつくる。人はそれを「奇跡のりんご」と呼ぶ。しかし、木村さんは人間である自分がその奇跡を起こしたのではなく、自然が持つその環境をうまく引き出したその結果だとさらりと言う。だがその悟りにたどり着くまでには身内に多大なる犠牲があり、最後には自らの死を覚悟までしたとも。りんごの木一本一本に感謝を述べる、そんなことも全然厭わなくなるまでの境地へは並の人間ではできないと僕なんか思ってしまうが、木村さんはそんな自らの自然栽培は誰でもできると言っている。やれないのではなくやらないだけだと。しかもりんごに限らず、米や一般の野菜、酪農までも応用可能とも言い切る。全く持って頭下がる思いになる。でも昔は自治体が農薬散布を奨励し従わない農家には指導までした世の中が、いまや自治体あるいは農協単位で自然栽培の教えを請う為に木村さんの元に訪れるところまで変化している。こうした取り組みがこれからの世代の農業みちすじになるといいなと願わずにはいられない。
木村さんの本の中に「この十数年で日本の米の味は美味くなりすぎた。」と書いてあった。そしてそのうまい米を食った日本の人々は少量で満足して全体の消費を少なくして、やがて減反までしてしまう変な構造になってしまったと嘆いている。つまり世の中美味いものがあふれ米も例外でなくその構造に巻き込まれより複雑な物に変化してしまったのだ。これは、僕の仕事にも言えることで、お菓子一つとっても何か説明をしなければその味が理解できない物になってしまっているのではないかと思ってしまう。美味い物をうまいとシンプルに言えないものを作ってしまっているんじゃないかと。そんなことを昨日いつものバーで隣のY氏と語っていたら、Y氏は実は君のところのお菓子を食べていたらもっとシンプルにできないのかなとはからずも指摘された。たしかに美味いことはうまいのだけれども、単純に美味しいというもの作れるはずだと。それには、作り手がどれだけの思いをそのものに込められるかだと。美味い焼酎を飲ませるあるマスターがいて、どうしてこんな美味い焼酎をのませることができるのかとY氏は聞いたことがあるらしい。そしてそのマスターはこう答えたそうだ「コップに焼酎を注ぐとき、美味しく飲まれてくれとささやきながらそそぐんだよ。企業秘密だよ。」なんともお茶目で、なんとも本質をついた言葉だ。まずい焼酎になる訳がない。
やっぱりそれは思いやりであって、やさしさがあって、つまるところ愛情だ。そうシンプルに愛情を注いだ物を作ろう、そうシンプルに。
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社会
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